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萩市と山口市に挟まれた旭村は、昭和30年に佐々並村と明木村が合併して誕生した山間の町で、当時は2年ごとに町役場の交代を行っていました。
佐々並も明木も、藩政期に萩藩主が参勤交代を行った萩往還の宿場町です。
佐々並は古くから佐々並市と呼ばれ、市場町を形成し在郷商人で賑わっていましたが、萩藩主の参勤交代路となると「駅」が置かれ、街道筋には62軒もの街並みができ、藩主の休憩施設・脇本陣である「御客屋」が2軒、本陣である「御茶屋」が1軒置かれていました。
山間の小さな宿場町である佐々並に3軒もの藩主の施設は負担が重く、佐々並を含めた萩往還の各宿は萩藩の支援の元で運営されていました。
佐々並川の対岸にある久年地区は、佐々並宿を拡大するための周辺村内から住民を移住させてつくられた市場町で、佐々並市と合わせて宿場町を形成しました。
佐々並は山と川に挟まれた狭い土地に形成されています。道は狭く、塗籠造りの商家の他に茅葺きの民家(今は軽量瓦葺き)や切妻二階建ての旅籠建築が密集しています。
二階建て旅籠が多いのは明治末期から昭和初期まで続いた、佐々並銅山によってもたらされた景気によるものなのでしょうか。
かつて本陣「御茶屋」が置かれていた場所に、現在佐々並小学校が立っています。
街並みの外れに、清酒「銀嶺」の三浦酒造があります。土壁造りの店蔵で、すでに廃業しているのでは心配するほどさびれた蔵ですが、全国鑑評会で金賞を9回も受賞し、現在他の地域のオリジナルブランド酒も委託製造している実力のある酒蔵なのです。
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旅館街を思わせる街並みが続いている |
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軽量瓦葺き民家の隣りが三浦酒造の店蔵 |
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