山陰本線長門駅から仙崎支線で一駅。詩人金子みすゞの故郷として知られる仙崎の町は山陰地方屈指の漁港であり、また終戦時は大陸からの引き揚げ港としも知られていました。仙崎は半島状に付きだした深川川河口の砂州で、青海島と面するその先端部に港と市街があり、下関に次ぐ県内第2位の港町である仙崎は長門市中心部市街に次ぐ規模の町でもあります。
仙崎は瀬戸崎浦とも呼ばれ、室町期からその名があります。江戸時代ごろからは捕鯨基地として栄えると共に、北前船の寄港地としても発展した商港でもありました。天保13年(1842)の記録では家数502軒、人口は2,091人とあり、職業の内訳では農民55・職人25・商人306・漁民118と、商工人が漁民の3倍近くも占めています。町は格子状に区割りされ、南町・南本町・本町・加賀屋町・北本町・洲崎町・今浦町・鍛冶町・中新町・新町・幸町・新屋敷などからなる市町で御番所と高札場は洲崎町に置かれていました。
現在もその町わりは残り、仙崎駅前から北へ延びる目抜き通りには、古い町並みが残ります。東日本大震災時に繰り返し放送された公共広告機構のコマーシャルで再び全国にその名が知られることとなった詩人金子みすゞの故郷として、町の整備が進められています。
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