徳山の北部山間地は比較的平坦な丘陵地帯で、この地域は岩国を流れる錦川の上流域でもあります。錦川とその支流沿いの開けた地にはいくつもの集落が見えますが、その中の一つ、錦川が大きく屈曲した河岸段丘にある須万(須万市)は、この須金地域の中心市街地であり、市場町・在郷町として栄えた町でもあります。集落を縦貫する1本の道沿いに街村の形態で古い町並みが残ります。古くから紙の生産が盛んな地域で、元禄年間ごろから定期市が立ち、在郷町として発展したようです。
この地内及び周辺には「須万(須磨)」と「須金」の名が散見されます。須万は戦国期から見える地名で江戸期には上須万と下須万に分かれ、それぞれに庄屋が置かれていました。やがて須万村は金峰村と分かれますが、明治に入って再び金峰村と合併して須金村となり、須万はその中心となったのです。その後徳山市に編入された後は字名として金峰と須万の名が残りました。一方で今でも郵便局や中学校には須金の名が残ります。国道434号線は集落を取り囲むように、二つのルートで須万の集落を迂回している為、集落を通る交通はほとんど皆無で、ひっそりとしていながらも、どこか郷愁的な風景がそこにありました。
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