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  田部
たべ
 200年前の商家が残る「小日本」の宿場町
 山口県豊浦郡菊川町田部

 構成:商家・町家 ■ 駐車場:なし
 
 

ある日のこと、庄屋の親子が山奥から出てくると、子供がこの盆地の広さを見て
「ここが日本か」と驚きました、親は「日本はこの10倍も広い」と教えました。
この藩政時代の昔話から、四方を山々で囲まれた菊川盆地は「小日本盆地(こにっぽん)」とも呼ばれるています。

旧赤間関街道・北浦筋とかさなる国道491号線は菊川町の中心部である田部地区を迂回し、下岡枝地区から県道下関長門線に引き継いで、北浦筋最大の宿場町であった豊田町西市へ向かいます。
菊川町役場のある田部は、藩政期には赤間関街道・北浦筋の宿場町だったと言われています。もともとは脇街道筋に沿って形成された半農半商の小さな市場町だったものが、萩藩による赤間関街道への昇格と交通量の増加によって宿場町となったのかもしれません。江戸時代を通して町場の数はさほど増えもせず、減りもせず。
西市宿と小月宿の間は距離が短く、ほとんどの旅人は通過するだけだったのかもしれません。

町役場のある旧道へ入り、さらに平行する裏筋に往時を偲ばせる街並みが残されていました。商店街へと発展する課程で停止したかのような郷愁漂う町筋で、伝統的な町家のままずっと商売を続けてきた、といった感じです。
田部の街並みで一番風格のある入母屋造りの商家、吉冨家は安永2年(1773)に建てられたもので、いま現役でした。