|
|
防府市の東端、周防灘に面した小さな漁村、富海は(とのみ)と読み、古くは山陽道の宿場町として賑わっていました。町場は東町・中市・新町からなり、宿場町としては「半宿」の扱いでしたが、中市には徳山藩の高札場や御茶屋本陣、天下送り御番所などが設けられていました。
富海は漁業も盛んでしたが、安永年間頃より漁船で旅客や貨物を瀬戸内海各地に運搬する「飛船」業を行い、主に大坂方面にまで往来したといいます。
富海の街並みは中市に多く残されています。高札場や御番所など往時の遺構は残されていませんが、御茶屋の一部が個人宅の敷地内に保存されています。
街並みと言うほどの連続性はありませんが、それでいて宿場町の面影をとてもよく残しているのは、個々の建物が伝統的な様式で建てられ整然と並び、さらに廻りには景色を壊す建物が無いためではないかと思います。
交通量と人通りの少なさが一躍かっているのかもしれません。
多くの家が妻入入母屋造りの主家と平入りの商家を併設した造りをしているのが特徴でした。
|
|
|