JR岩徳線・高水駅の西側にある呼坂地区は山陽道の宿場町として栄えた町で、今もその面影を残しています。呼坂は東西を低い丘陵に挟まれた小盆地に町場が発達し、古くは「海老坂」と呼ばれていものが「呼坂」に転訛したといいます。九州探題として太宰府に下向した今川了俊の紀行文「道ゆきふり」にも書かれているこの町は、古代山陽道における「周防駅」であったのではとの説が有力とか。
岩国から徳島へと抜ける山陽道のルートは時代によって変遷していましたが、天正15年に豊臣秀吉が朝鮮出兵のために最短ルートである古道を改修して、今の呼坂〜花岡間を整備し、近世山陽道が確率します。呼坂が正式な宿場町として発展するのは近世に入ってからで、そのころから定期市が立ち、「呼坂市」と呼ばれはじめます。初めは西側丘陵の場所にあり、やがて現在の場所に移転してきたそうで、かつての場所には古市の地名も残ります。中央を流れる中村川を境に西側を西町、東側を本町と言い、本町にある旧家・河内家は代々庄屋・大庄屋を勤め、巡検上使や九州諸大名が宿泊する際には本陣を務めました。
旧熊毛町の中心地であり、古くからの宿場町であった呼坂。しかしJR岩徳線の駅にその名がありません。岩徳線(国鉄)が開通した昭和9年当時は、高水村と勝間村(呼坂はその前の合併で勝間村の一部に)だった為です。その後昭和31年に、高水村と勝間村及び周辺町村が合併して熊毛町が生まれました。
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