広島市街から90km、庄原市街の北に15kmの島根県と接する北端部の町、比和町。
西城川支流比和川の上流域で、中国山脈の背梁部に位置し、周囲を1000m級の山々に囲まれた県内一の豪雪地帯です。
地名は信仰の山である比婆山の比婆(ひば)が転訛し、中世には日和もしくは火矢とも書かれ、江戸時代から現在の比和となりました。
古代備後国における、たたら製鉄の中心地と言われ、その後も明治までの長い間、鉄産業は比和の中心産業として続き、その貨物輸送の拠点として比和は繁栄します。
さらに、江戸時代には出雲路の宿場町にも指定されます。もっとも伝馬の定数は無かったといいますが、これは宿場町としては重要視されていなかったのでは無く、当時近接する宿場町の伝馬の定数が6〜7程度であるのに対し、鉄産業の貨物拠点として栄えていた比和には常時100頭以上の牛馬が常備されていたと言われることと、前後の宿駅が近かったからか。
もっとも比和の町が発展するのは、和鉄産業が衰退した明治中期以降からの事です。江戸期より始められた牛馬の生産と牛馬市は、明治になると7月の半夏市、12月の節季市、そして11月の森脇山王市や三河内大山市など、周辺地域に分散して開催されるようになりましたが、明治43年に比和の市に統合され、以降市街地が一層拡大していったのです。
国道432号線が旧道筋の市街地を迂回、比和川の対岸を通るために旧道筋は喧噪もなく静かな山間の町の様相を色濃く残しています。家並みの裏手には比和川が流れ、旧道沿いの家並みの中にも暗渠を流れる水の音が包みます。
一つ一つの家々は比和町の発展の第2の契機である明治以降、大正から昭和初期にかけてのもので、特に歴史的文化財になるような建物はありませんが、中国山地の街道風情を残す稀少な町並みです。
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