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上下
じょうげ
 上下銀で栄えた天領の町・石州街道の宿場町
 広島県甲奴郡上下町上下 【広島県府中市上下町】

商家・町家・土蔵・芝居小屋・教会  あり  JR福塩線・上下駅
 
 
「上下」と書いて(じょうげ)と読む。そのまんまですが、この変わった地名は、この町が分水嶺の地であることに由来しています。ここより南東の水は瀬戸内海に注ぐ芦田川へ、北西の水は日本海に注ぐ江の川へと分かれるのです。

上下は山陰と山陽を結ぶ石州街道の宿場町であるとともに、石見銀山から積み出されるの銀の輸送中継地として重要視され、さらに幕府直轄の天領となってこの地方の政治・経済の中心地へと発展します。

そして上下には天領となった備中・備後71ヶ村約5万石を管轄するために上下代官所が設けられましたが、同管轄内の幕府領が減少するのにともない、石見大森代官所の出張陣屋の扱いとなります。

上下代官所は石見銀山の産出量が右肩下がりになってくると、その補填の為に産出した銀を有力商人に委託して、貸付金融政策を行います。これが「上下銀」と呼ばれるものですが、やがて貸付対象は周辺農民だけでなく、広島・福島藩領の農民、さらに各藩の藩庁にまで拡大し、諸藩との間で問題化を引き起こします。

現在、上下町の旧石州街道沿いには白壁にナマコ壁の街並みが続きます。黒漆喰の重厚な商家も堂々とした存在感を示し、この町が生み出した豪商達の歴史を感じさせます。
明治維新後も甲奴郡の中心地として政府の出先機関や金融機関が進出しています。

町のシンボル的な建築物である上下キリスト教会は、明治時代の財閥角倉家の蔵を改築して利用されてきたもの。もうひとつ町の北側に建つ「映画実演」と書かれた芝居小屋は、「翁座」といい、大正時代に建てられたもので、今でも年に数回は利用されているそうです。

上下の街並みの課題として、電線の地中化が臨まれますが、まず修景の第一歩として商店街の派手な街路灯を考え直してほしいと思いました。