旧山陽道である国道2号線と呉へ通じる街道の追分けであり、JR山陽本線と呉線の接続する、広島市近郊東部に位置する小さな町・海田。周囲を広島市に囲まれ近年まで独立を保っていたこの小さな町は、古くからの交通の要衝であり、山陽道の宿場町として本陣や脇本陣がおかれ、さらに市場町・在郷町として安芸郡における政治・経済の中心地であった場所だったのです。平成16年に広島市安芸区に編入されるまで、長く続いた自治はその歴史ゆえのプライドだったのでしょうか?
現在もJRの駅名に残る「海田市」(かいたいち)。作物の育たない痩せた貧しい農村から一大商業町に大変身をとげたのは、江戸期になって山陽道(西国街道)が整備され、この小さな村が宿場町として整備された事に始まります。
瀬野川とJR駅の北側をジグザグに走る旧街道。現在の中店と上市あたりが宿場町の中心であり、本陣であった御茶屋は残されていませんが、脇本陣を務めた千葉家は今なお往時のままの姿で健在であり、もっとも重厚な佇まいを残している中心的な伝統的建造物です。この旧道沿いには連続性は無いものの、至るところに往時を偲ばせる町家建築を見ることができます。
山陰本線と呉線の接続するターミナル駅を持つ海田は、全国の多くの宿場町が鉄道の開通によってその役割を失ったのとは対照的に、明治以降も鉄道によってその役割を継続させ、発展した珍しい例の一つでした。
しかし、周辺地域の諸産物があつまる在郷商業町でありながら、地場産業は持たず、その後陸軍と海軍による駐屯地や基地建設の為の大規模な土地買収が、海田の産業発展を閉ざす大きな要因となったのです。 |