広島市の北西端、同市の安佐北区に接する人口約4,000人の山間の小さな町・加計。V字渓谷が連なる太田川河岸段丘や谷底平野に集落が点在し、わずかに開けた河岸段丘に町の中心があります。
加計の由来は「崖」とも、また河川交通の要衝であった事から舟をつなぐ意味の「かける」に由来するという説もありますが、定かではありません。
加計は山間の町ながら、古くから陰陽連絡道の交通の要衝で、山県郡の行政、経済の中心地として発展していました。中心市街は「本郷」と呼ばれ、江戸時代には太田川舟運で加計地方の産物が広島へと出荷される河港町であり、当時の町の規模としては東西1里19町、南北1里2町、牛262匹、馬17匹、川舟は15隻を有していたと記録があります。
河港町の本郷は明治20年代から商店街として発展を始め、毎月3回(7、17、27)の市立に替わり、12月の「廿五日雑市」が立つなど、山県郡における物資集散の拠点として盛況を極めていきます。それは現在の加計中心街の町並みからも感じられ、山県郡内おいて規模、質ともに最も栄えた町であった事が伺えます。
しかし太田川の河川交通はその後のダム等による電源開発による水量の減少と陸上交通の発達によって終焉を迎える事となります。それに代わって国鉄可部線が昭和29年に加計町まで延伸し、その後三段峡まで開通しました。
加計駅は可部線北端の拠点駅で広い構内を持ち、この駅始発の列車や三段峡方面への乗換駅でもあって、河川交通時代を置き換えたような位置付けでしたが、それも2003年に可部以降の非電化区間が廃線となり、駅跡地は文化交流施設として、駅の一部、線路、橋梁がモニュメントのように残されています。
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