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宮内市場
みやうち いちば
 奥備後・雲伯路阿井越道の宿場町
 広島県庄原市口和町宮内字市場【旧・比婆郡口和町】2005年合併
商家・古民家・土蔵  なし  口和町の中心まではJR芸備線・三次・三原各駅からバス
 
 
広島市街から約90km、島根県にほど近い中国山地の南麓に位置する旧口和町の中心からさらに北へ約1.5km。宮内地区の字市場という街道時代を偲ばせる古い家並みが残る小さな街村集落があります。

この市場集落の北にそびえる標高884.7mの八国見(やくにみ)山は、火山活動によって生じた円錐形の山で、晴れた日には備後・安芸・備中・出雲・石見さらに遠くは伯耆・伊予・讃岐の8国が見渡せることから名付けられた山で、宮内の名はこの八国見山の山頂にかつてあった式内社の多加意美神社(八国見明神)に由来するといいます。

宮内市場は古くから山陽と山陰を結ぶ幾つかの峠道のひとつ雲伯路・阿井越道の宿場町で、南には城下町でもある三次宿、そして金尾峠を越えた北には広島県最北の宿場町、新市宿があります。当時の宿の長さは約2町、制札場が置かれ、伝馬8匹も常置されていました。

かつては宿場町の他、和鉄産業でも栄えていたと言われ、旅籠屋、酒造家・醤油屋・酢屋などの商家100余軒が軒を連ねていたとの記録がありますが、現在はの世帯数はわずか。背後に鳥袋山の山麓がせまり、西城川支流の萩川に挟まれたせまい土地を縫うような旧道筋に沿って集落が形成されています。

最後に旧・口和町について。金尾峠を越えた北、奥備後最北の高野山組(旧・高野町)への出入口にあたる事から、近世にこの地域は和久荘「口組」と称され、8つの村からなっていました。明治22年にこの口組8ヶ村が半分づつ合併して口北村、口南村となり、その後この2つの村が合併。「口」地区の和を願って口和村となり、その後町へと昇格しました。
 
 
 
 
 
萩川の川音が集落を包み込んでいる