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近年、首都圏でも知られる広島の地酒「雨後の月」の醸造元がある呉市東部の小さな港町・仁方を訪ねてみました。下調べでは他にも3軒の酒蔵があり、瀬戸内海沿岸に臨むこの地域では広島酒の聖地である安芸津と並ぶ酒処である事が分かりました。
仁方の地名は「新潟」が由来で、戦国期には「仁賀田」と書かれますが、その古名が語るように、瀬戸内海に広がる低湿地帯を生かして塩浜業と製塩関連業で栄えた町でした。仁方の商人は地場産業の木綿や製塩業を基盤に、瀬戸内海を渡り歩いて地域の価格差を利用した塩取引を行い、廻船問屋や豪商を輩出していきます。さらにもう一つの産業として江戸末期から行われ始めた「やすり製造」があります。仁方のやすり製造は明治になると機械の導入により生産が拡大、大正期には年100万本を製造するに至り、「仁方千軒、やすりが五百」と呼ばれるほど、地場産業のシェアを占めるに至りました。そうした一大商業地では酒造業も多くなり最盛期には9酒蔵、総生産量は1万石を越えたといいます。
そうして現在も4軒の酒蔵が残り、その中でも相原酒造は全国にその名を知られるようになりますが、仁方の町並みの中では酒蔵を初めとして伝統的な建造物が徐々に取り壊され、呉市近郊のベッドタウンにその姿を変えつつあります。
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