古くからの軍港として知られ、現在も海上自衛隊の基地がある呉港から、海軍兵学校の島として知られる江田島に陸路で向かうには、まず最初のこの倉橋島の音戸町がその玄関口となります。そしてこの小さな音戸町を印象深く記憶に留めている存在に、三重ループの音戸大橋があります。
音戸町は古くから瀬戸内海有数の商港として栄えた港町で、古くは穏渡と書き、現在もその文字は音戸の大字として残されています。そして商港として繁栄した往時を偲ばせる古い町並みが、実はこの三重ループの麓に残されていたのでした。旧道は海岸線を走る幹線道路の沿った形で山側を通ります。軽自動車が通れる道幅からやがて、二輪車でなくては通れない生活道路となります。
この音戸大橋の架かる幅約90 mの音戸瀬戸は、平安時代に平清盛による瀬戸内海航路の整備事業の一つとして狭い水路を改修して広げられたといわれ、近年まで瀬戸内銀座と呼ばれるように瀬戸内海における過密航路となります。江戸期の廻船時代を経て音戸港が急速に発展したのは、近世における呉軍港の航行規制により締め出された民間の船舶が音戸に寄港した為で、九州の福岡と大阪を結ぶ大型フェリーも音戸に寄港したほどでした。
現在も呉服店を初めとして重厚な商家が残るのがループ下の引地地区で、鰯浜地区には魚網会社の洋風建築が見られ、南穏渡地区にある地酒「華鳩」の榎酒造では、裏手に情緒ある蔵風景を残すと共に、その酒質の洗練されたレベルの高さに驚かされ、この音戸の町が味覚と共に記憶に留められる事になったのです。
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