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東広島市の北西部に広がる志和盆地。中国自動車道・志和ICが盆地の玄関口で、海抜250mの高原盆地北端に位置する志和堀は、今なお茅葺きの民家が数多く点在する農村風景を残しています。古くは志芳荘という鳥羽天皇の皇女・上西門院の荘園にその名が見られ、特にこの志和堀の地域は「堀」と呼ばれていました。地名の由来は古来この地に祝師(ほりし)が居という説と、中世にこの地を支配した天野氏の財崎城の廻りに築かれた濠にちなむ説があるといいますが、後者の方が明らかに有力そうに思えます。
この農村地帯の中心に「堀市」という市場町が形成され、明治以降の最盛期には61軒の商家を初め酒、醤油などの醸造家があり、賀茂地域北西部の物資が集まる在郷商業町として発展。近年に行政機関や小学校などが集まり中心市街地が形成されました。
こうした市場町の面影を残す商家の家並みと、盆地に広がる茅葺き民家を繋ぐ中心的な存在が、「千代の春酒造」です。酒蔵の主家は切妻の茅葺き建築で、屋敷の廻りには濠が設けられ、毎年夏には蛍が舞い、秋は彼岸花が咲き乱れ、まさに志和堀の風物詩がそこに凝縮されています。
千代乃春酒造は寛縁2年(1749)創業、戦時中は満州や西条にも蔵をもつ8,000石の大手酒造メーカーで、今はその規模は無いものの、良質な酒を醸し続け数々の受賞を得ています。
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