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  矢野
やの
 近世に和かつらの一大産地として栄えた在郷商業町
 広島県広島市安芸区矢野西5

 構成:商家・町家土蔵 ■ 駐車場:なし
 
 

広島市の東部を占める安芸区。その南側に飛び地の様に突き出た矢野という地域があります。広島市街からJR呉線と併走して呉市へ至る国道31号線は列車と共に、矢野の町を気に留める暇無く通過してしまいます。近郊ベッドタウンの道を歩み始めている今、この小さな”地域”に古い町並みが残されているなど、想像だにしませんでした。矢野の歴史を調べてみると、古くは風待ちの港に商港として知られた矢野浦を中心に開けており、中世には野間氏の城下町として発達、近世には熊野・黒瀬など内陸諸村を結ぶ街道がこの地に集まり、物資が集結する在郷町として発展してきました。町の中心に建つ尾崎神社は、中世野間氏の入部と共に尾張国内海荘から勧進された歴史の古い神社で、矢野の町の氏神として位置づけられているそうです。
この尾崎神社の東側から矢野川に沿って、伝統的な佇まいの商家が今もなお、狭い路地の所々に残されています。この静かで落ち着いた地区がかつての町の中心地だったというから驚きです。複雑に入り組んだ路地には市場町を偲ばせる建物がいくつも見られますが、矢野川に出ると漆喰に塗り込められた重厚な商家建築が姿を現します。
かつては、酒蔵なども数軒あったと言われていますが、現在唯一残る醸造蔵が川沿いに佇む野島醤油です。川上に上るほど一層と狭小になるこの道筋が、かつて熊野地域を結んだ主要街道だったといいますから、またまた驚きです。
しかし、今も熊野地域を経て安芸津へ至る主要地方道と有料バイパスの分岐点である事には変わりがありません。
矢野は江戸期から明治にかけて和カツラである髢(かもじ)産業で栄えた町でもありました。最盛期には全国の8割を占めるほどであったと言われています。原材料はもちろん本物の頭髪で、油抜きや染色を初めとするさまざまな行程を経てかつらになります。そうした行程を支えた豊富な水流をもつ矢野川には、いまでも所々に作業の為の石段が残されています。江戸期後半から始まった干拓事業は、かつての商港矢野浦の役割や姿を変えたばかりでなく、今もなお産業構造の変化に伴って矢野の町の姿を変えつつあります。