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  網干
あぼし
 揖保川河口に栄えた竜野藩と丸亀藩の港町
 兵庫県姫路市網干区余子浜・網干区興浜・網干区新在家

 構成:商家・町家・屋敷・陣屋門 ■ 駐車場:なし
 
網干区興浜の陣屋往来筋に建つ山田家邸

姫路市最西端、揖保川河口に位置する町網干は、古くから揖保川舟運と瀬戸内海航路の要衝であり、揖保川流域の物資の集散地として繁栄した港町・商業町でした。

今回紹介する網干は、揖保川と播磨灘に臨む網干区余子浜、網干区興浜、網干区新在家で、現在は埋立によってだいぶ当時とその姿が変わっていますが、住宅・商店街地域に伝統的な建物が数多く残され往時の港町を偲ばせています。

江戸時代に網干三ヶ村と呼ばれた余子浜村(横浜)、興浜村(奥浜)、新在家村の3村は、それぞれ支配が異なり竜野藩と讃岐丸亀藩の陣屋が置かれていました。
龍野藩領新在家村には藩の蔵屋敷と藩邸が置かれ、興浜村と余子浜村は讃岐丸亀藩領で、興浜村に陣屋が置かれていました。
現在の興浜には旧丸亀藩網干陣屋跡があり、当時の門が復元されてています。一方新在家に置かれた竜野藩邸の遺構は残されてはいませんが、現在の網干小学校がその場所でした。

網干の有力商人の屋敷は、網干区余子浜と網干区興浜のそれぞれ揖保川沿いに多く残されています。余子浜の揖保川沿い、船渡八幡神社の向かいに建つ加藤家は、天領の蔵元として身分は商人でありながら名字帯刀が許された家柄でした。
興浜の揖保川沿いに残る丸亀藩の網干陣屋跡近くに異形をはなつ屋敷があります。
大正時代に網干銀行頭取や網干町長を務めた山本家邸で、伝統的な日本建築と洋風建築が融合し、黒壁塗りの望楼はこの建物のシンボルとなっています。
この地区と接する新在家の網干商店街には厨子二階の伝統的な商家が多く立ち並んでいました。道はタイル舗装されていますが、できれば街路灯などの意匠も再考してほしいところです。
いずれにしろ、播磨臨海工業地帯の一画に周囲と隔絶された別世界の空気が漂う町並みが存在する事に驚かされました。


ちなみに姫路市における飾磨区などの「区」は広域地域名の冠称で、 1946年の大規模な市町村合併の時に用いられた、いわば「大字」の上位単位として設けられた代用単位です。
姫路市はまだ政令指定都市では無く、この「区」には当然ながら法人格は無く、役所や支所など行政機関もありません。
■ところで平成の大合併では同じように法人格を持たずに旧町村名を冠称する「地域自治区制」(上越市など)と法人格を持つ「合併特例区制」(岡山市など)があらたに採用されました。いずれも暫定的な行政単位ですが、けっこう紛らわしいものです。

 
網干区余子浜の加藤家
網干区新在家の網干商店街
網干の酒蔵          
清酒 「龍力」 本田商店 兵庫県姫路市網干区高田361-1 0792-73-0151