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神戸のイメージの強い兵庫県が、日本海に通じている事すら知らない人も多いなかにおいて、城崎温泉や国内最大のトレッスル橋で知られる山陰本線余部鉄橋のある香住町などはそれを耳にしたことがある人も多いのではないかと思います。浜坂町はほとんど無名の町ですが、兵庫県日本海沿岸の最西端、鳥取県と接する漁業と農業を中心とした小さな町ですが、かつては「みすや針」の生産で全国に知られていました。
平成17年の合併で「新温泉町」として生まれ変わりましたが、「浜坂」の地名は大字として今も残されています。
古くから農業と漁業が生活の中心だったこの小さな漁村は、江戸時代あたりから盛んになった廻船業・北前船の寄港地として賑わい、やがて酒造業も行われたという記録からもその発展ぶりが伺えます。
寛永年間に当地の医者の息子であった市原惣兵衛によって針の生産が始められると、北前船の流通網による出雲鉄の輸入や大坂方面への販路の拡大により針工業の町として急速に発展し「みすや針」のブランドは全国にその名が知られました。最盛期には針製造関連業は100軒を越え、800人近い職人を有した浜坂の針製造でしたが近代化が進む大正時代ころから次第に壊滅的に衰退していくことになりました。しかしその技術は現在も受け継がれ、レコード用宝石針やアイスピックなど、特殊な用途の針生産が行われています。
昭和55年に温泉が湧き、海水浴と温泉の町へと生まれ変わりましたが、閑散期の静けさは郷愁を感じさせます。町のメインストリートは山陰道の宿場町を思わせる町並みが残り(山陰道はここを通っていませんが)、浜坂港へ通じる細い道筋には往時を偲ばせる家並みが僅かに残されていました。その中でかつて酒蔵を営んでした森家の商家屋敷が「先人記念館・以命亭」として一般公開されています。
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