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  林田
はやしだ
 建部家林田藩1万石の陣屋町・今はヤヱガキ酒造の城下町
 兵庫県姫路市林田町

 構成:酒蔵・庄屋屋敷・町家 ■ 駐車場:なし
 

ヤヱガキ酒造・長谷川家邸

姫路市の最西端、たつの市に接する林田町は因幡街道沿いに栄えた陣屋町でした。
林田藩1万石の建部家は、秀吉の時代より尼崎郡代を務めた700石の家柄でした
が、大阪の陣で徳川方に属し尼崎城を固守。その功により一万石の大名に取り立てられ、尼崎藩を経て林田藩へ移封されます。以後、林田藩建部家は終始替わること無く250年余り、10代世襲して明治を迎えます。
陣屋は現在の林田中学校の場所に築かれ、その南に武家町が置かれます。因幡街道筋には町人町が整備され宿場町、在郷町として発展していきました。

現在の林田町には宿場町を偲ばせる連続した商家や町家の町並みはほとんど残っていませんが、厨子二階に虫籠窓や千本格子の旧家が数軒点在しています。
その中で、林田町を代表する重厚な商家が、旧大庄屋の三木家邸とヤヱガキ酒造の長谷川家の建物です。

ヤヱガキ酒造は全国の酒蔵の近代化に貢献した大手の蔵で、今回はこの酒蔵を訪ねる事を第1の目的として林田町に訪れました。長谷川家邸の裏手には大企業ヤヱガキグループの本社・研究所・工場などが建ち並ぶ、まさに長谷川家の城下町の様相を呈しています。
長谷川家は中世の大和国からこの地に移り住んだ藤原家の一族で、江戸時代前期の元禄3年(1690) 藤原鎌足33代目の子孫、長谷川家が酒造りをはじめました。
明治14年新しい酒銘「八重墻」が生まれます。後に社名となる「ヤエガキ」は、日本書紀の一節、出雲の国でヤマタノオロチを退治したスサノオが櫛名田比売(くしなだひめ)と結ばれ、その喜びの歌の一節から取られたものです。

この由緒ある屋敷で酒を購入できればと思いましたが、ヤヱガキ酒造では酒の直販は行っておらず、しぶしぶ手ぶらで町をあとにしました。


 
林田の酒蔵          
清酒 「八重墻」 ヤヱガキ酒造 兵庫県姫路市林田町六九谷681 0792-68-8080