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坂越は幕末から明治にかけて赤穂の塩を運ぶ拠点として栄えた小さな港町。
地名の由来は、7世紀に時の豪族秦河勝(はたのかわかつ)が蘇我入鹿(そがのいるか)に追われて難を”避け越し”た事が坂越に変化した説と、千種川から狭い峠の坂を越して海へ通じる事から坂越になった説がありますが、実際に国道から狭い坂道を越えてこの地に訪れた感じからすれば、後者に歩がある様な気がしますが歴史は不思議な事が多いのでいやはや。
背後の連山と生島の原生林が風波を防ぐ天然の良港。坂越船の基地であり諸国廻船の避難港として難風時には150隻以上の廻船であふれたと言われているが、現在の坂越港に往時の喧騒はありません。
坂越の古い町並みは”大道”と呼ばれる一本の坂道に沿って切妻平入りに千本格子の商家や町家が連なっています。大道の路面はアスファルトから石畳になり、各家々は手入れが行き届いて非常にきれいな街並みになっています。
その中でひときわ目を引く建物が奥藤家の本家邸です。寺院を思わせる大規模で荘厳な入母屋造りの商家はまさに大庄屋であり大商人でもあった家格を物語っています。奥藤家は酒造業をはじめ、金融業、廻船業へと事業を拡大し、酒蔵の並びには旧奥藤銀行を改装した「坂越まちなみ資料館」があります。
坂の上から坂越湾を臨んで左側が本町、右側が北之町で本町の大半を奥藤家関連の建物が占めており、坂越は奥藤家の街並みといっても過言ではありません。
観光客はほとんど見られませんが、街並みは日々整備され、道筋にゴミ一つ落ちていない坂越の街並みに住民の高い意識と誇りを感じました。
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