京都府福知山市と接する兵庫県最北東の町である市島町中竹田に、ある小さな酒蔵を訪ねる目的で足を運びました。
この頁の題名は「中竹田」とするのが適切かもしれませんが、丹後竹田駅が近くにあり、こちらの方が歴史を感じさせるのであえてその名称を用いました。
市島町は名前の”市”が示すように、古くは現在の町の中心部である上田に市場町が発達したのに始まります。しかしその後、複雑に支配が入り組み、秀吉の時代から江戸時代まで解決されず、これといった発展はありませんでした。
今回訪れた中竹田地区も農村地帯の中の、旧丹後街道沿いに形成された街道集落であり、斜向かいに並ぶ2軒の酒蔵は良質な水を求めて明治期に創業しました。
旧街道沿いに一目で分かる地酒「玉つるぎ」の看板が立つ酒蔵の土蔵が、中大槻酒造場で、小さな集落は同蔵の土蔵と本家邸が大半を占めています。
さて、今回目的の蔵が地酒「小鼓」の西山酒造場で、旧街道沿いに立つ風格のある商家屋敷が蔵の歴史を物語っています。この小さな酒蔵は全国でも数少ない
「小川酵母(10号酵母)のみで酒造りを行う蔵で、辛口が好まれる兵庫の酒のなかにおいて、まろやかな旨みを秘めた味わいの酒を醸します。
さらに、 当主は代々俳号を持つ俳人という芸術色豊かな蔵でもあり、店舗も歴史を感じさせるたたずまいの商家でありながら、店内へ足を運ぶと酒蔵の空間デザインにはじまり、酒のラベルデザイン、ブランド構築に対して精力的な活動を行っており、非常に姿勢が好感もてる蔵の一つでありました。
ちなみに旧丹後街道(水分かれ街道)の”水分かれ”とは、標高95・45mという日本一低い分水嶺である柏原町の「水分れ公園」を起点に、南は篠山川・加古川経由で瀬戸内海へ、北は竹田川・由良川経由で日本海へと流れ込む川にそった街道であることから、そう呼ばれました。
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