岡山市の北西約14km、岡山自動車道・岡山総社ICから足守川に沿って車で5分ほど北上した場所に、足守藩木下家2万5000石の陣屋町の街並みが残されています。
足守藩は豊臣秀吉の正室ねねの兄にあたる播磨姫路城主木下家定が備中足守に移封されたのに始まります。以後木下家足守藩は11代256年続いて明治を向かえます。
足守陣屋は街並みの北側、宮路山の麓に築かれましたが、現在は藩主の庭園であった近水園が残されるのみです。場所は足守小学校があるあたりで、その周囲に家中屋敷が配置されました。白壁の長屋門と土塀に囲まれた旧足守藩侍屋敷(旧家老杉原家邸)や北木下家長屋門などが残されています。
一方、足守の街並みの本命である町人町の方は、かなりの規模で往時の姿をとどめており、足守地区の250軒中およそ100軒が江戸期のものといいます。
街並みの中間点に建つ重厚な黒漆喰の商家は足守藩の豪商・藤田千年治邸で、江戸時代末期に建てられた稀少な商家建築は一般公開されています。
ここから先、街並み保存地区の入口である足守プラザにかけては、徐々に時代の古い建築物は減り、修景された街並みが続きます。
大都市岡山市の近郊にこれほどの街並みが残されているとは思いませんでしたが、この一帯はのどかな田園地帯であり、土蔵を持った農家などがいたるところで見られます。ちなみにJR吉備線足守駅からは4km近く距離があるので注意されたし。
|