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  早島
はやしま
 旗本戸川氏の陣屋町・い草の町
 岡山県都窪郡早島町早島

 構成:町家・商人屋敷・武家屋敷 ■ 駐車場:なし
 
旧宇喜多堤上に建つ旧家・寺山家「いかしの舎」
倉敷市と岡山市に挟まれた小さな町・早島町もその地名の通り、かつては瀬戸内海に浮かぶ島でした。当時この一帯は潮の流れが急で、船舶の航行に難儀した事から「早島」と呼ばれるようになったとか。

関ヶ原の戦い後、庭瀬藩主戸川逵安の次男安尤が早島3400石を分知され、以後明治まで旗本戸川家の陣屋町として続きました。
干拓によって本土と地続きになり、かつ広大な農地を手に入れた早島の農民は、まだ米作には向かない土壌を改良するために綿花や畳の材料となる藺草(いぐさ)の栽培を行いました。そして綿花を足袋や帯地に、藺草を畳に製品化する副業が各農家で行われる様になると、早島にはそれらを扱う問屋が発達していき、藺草の町、畳の町として知れ渡るようになります。また早島は商都倉敷に近かった事もその発展に大きく影響し、さらに金毘羅往還沿いに位置した早島はと行き交う人々で賑わい繁盛しました。

かつて「宇喜多堤」と呼ばれた潮止め堤防上を走る現県道倉敷妹尾線沿いに、豪商の蔵屋敷や町家が軒を連ねます。なかでも町のシンボル的な存在で、PoweMacのデザインを彷彿させる独特の意匠をもった土蔵と商家が旧家・寺山家で、現在は早島町のコミュニティー施設「いかしの舎」として改装され喫茶店・研修施設の他、ギャラリーやイベントスペースなどに利用されています。
また早島小学校の裏手には戸川家陣屋跡や茅葺き屋根の主家を持つ武家屋敷なども残され、細く迷路のような小路には武家屋敷町の面影を偲ばせています。