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  児島田の口
こじまたのくち
 瑜伽山参詣と繊維業で栄えた町
 岡山県倉敷市児島田の口

 構成:商家・町家・酒蔵・土蔵 ■ 駐車場:なし
 
 

児島半島東岸の付け根に位置する港町・児島田の口。江戸期から瑜伽山参詣と繊維業で栄えた港町で、その発生は古く中世には「田の口の津」と呼ばれていました。江戸期より長い間”田之口”と表記されてきましたが、昭和42年の倉敷への編入にともなって”田の口”となります。

田之口は瑜伽山参詣の表玄関として発展しましたが、やがて隣接する下村が独占していた讃岐金毘羅宮参詣のための渡海港へも進出し、その地位を逆転します。
また田之口は繊維業と製塩業でも発展しました。藩内で最初に真田紐の製造が開始されたのに始まり、小倉帯地の生産へも進出。他国から製品を買い付けにくる商船が増加すると、岡山藩は藩内産出の小倉帯地、袴地を専売制にして田之口に小倉会所を設置しました。
明治になると、朝鮮半島や中国大陸にむけて織物の輸出が始まりました。
同じく製塩業もさかんに行われ、次々と塩田が開発されていきましたが、 明治中期ごろから衰えはじめ、第2次大戦後の琴浦港建設の際に田之口全域の塩田が消滅しました。

現在田の口には瑜伽山参詣の姿もなく、繊維業の繁栄も見られませんが、今も縫製や被服関連の企業が点在し、染色材料の化学系企業の工場や倉庫が建ち並んでいます。なかには文化財級の木造縫製工場などが現役で操業しており、また一画には赤レンガの倉庫群が立ち並び、繊維産業で繁栄した時代の名残があちこちに残されていました。
旧参道沿いには今でも「へんろ道」と彫られた道標が立ち、本瓦の重厚な商家やなまこ壁の土蔵が軒を連ね、この小さな港町の裏手にこれほどまでの街並みが残されているとは大変な驚きでした。

 
 
 
児島田の口の酒蔵          
清酒 「雪嵐」 尾崎酒造場 岡山県倉敷市児島田の口4-3-40 086-477-7040    
清酒 「十八盛」 十八盛酒造 岡山県倉敷市児島田の口5-6-14 086-477-7125