吉井川に接する岡山市東端、西大寺は日本三大奇祭のひとつ「西大寺会陽」で知られる西大寺の門前町として発達した町。鎌倉時代に西大寺門前で開かれた市が町場の始まりとなり、江戸時代には門前町へと発展。さらに吉井川の舟運の便に恵まれ物資の集散地として岡山藩の在町に指定されます。西大寺には美作地方と南備、瀬戸内海を結ぶ要衝として大規模な問屋や商人が台頭しました。
江戸時代、岡山城主宇喜多直家は岡山城下に西大寺より富商呼び集め、両替商や銭屋が軒を連ねる金融街を作ります。それが現在岡山市の中心部、県庁近くにある西大寺町です。
西大寺の街並みは吉井川の北岸、西大寺東3丁目から吉井川に平行する形で蛇行しながら西大寺中3丁目の西大寺門前にいたる道筋に連なります。西大寺東3丁目から1丁目にかけては、のどかな街道筋・宿場町の佇まいを残す家並みが続きます。新堀川を越えると備南の中心地として発展し、大正期からさまざまな金融機関が立ち並んだ過去を物語るように、レトロな洋風建築も点在した近代在郷町的な街並みが続きます。道筋が緩やかに蛇行しているので街並みに立体感・視覚的な密度が付与され予想以上に充実感がありました。
天下の奇祭といわれる西大寺のはだか祭り「会陽(えよう」は、ふんどし姿の裸体の群れが宝木を奪い合う勇壮な祭りで、宝木をうまく手に入れた者は「福男」と呼ばれ、その年の幸福が約束されます。
永正年間(1504年〜)寺で配られる護符が利益を生むと評判になり、殺到する人々に札を投げ与えたことに始まるとされています。護符はやがて紙から木になり、現在の「宝木」に変わりました。もともと旧暦に合わせて行われていた祭りの行事も、観光化によって2月の第3土曜日に行われます。
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