旭川の源流に支流田部川が合流する蒜山盆地の南端の山麓に、かつて漆器生産と大山往来の宿場町として活況を呈した郷原という集落があります。
米子自動車道・蒜山ICと蒜山高原SAの裏手、西茅部地区。集落へ差しかかるとまず、大きな石の鳥居が出迎えます。この地域の氏神である茅部神社の参道口で、郷原宿はこの鳥居の前に続いています。
茅部神社は延宝5年に建立された古刹で、はじめは岩倉十二所権現社と称していました。大鳥居は明神型石造鳥居としては日本一の大きさを誇り、この郷原宿が繁栄の絶頂にあった文久3年に建てられた物です。
緩やかな高原斜面に、宿場町の面影を残す家並みが今も残り、集落の中央付近には立派な商家風の建物の姿も見られます。かつて、宿場内に数十軒の
木地屋や塗師屋が軒を連ねたと言わるほどの郷原漆器も大正末期に最盛期を迎えた後は急速に衰退し姿を消します。
一方、大山往来も新道が郷原を大きく外れたルートに建設され、宿場町としての役割も終える事となりました。
現在は農業を中心とした街村としてひっそりと残る郷原集落。道の脇に設けられた水路を流れる水の音が集落を包む静寂の中に心地よく響いていました。
ちなみに、米子自動車道はかつての大山往来にほぼ踏襲するルートを走っています。
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