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  建部
たけべ
 国境の地に発達した政治経済の中心地
 岡山県御津郡建部町中田字上之町

 構成:町家 ■ 駐車場:なし
 
 

岡山と津山の中間に位置する建部町。日本武尊の御名代「武部」が地名の由来といいます。現在の国道53号線はかつての津山往来をほぼ踏襲しています。町の中央を南北に流れる旭川。町役場のある中心市街・福渡はかつて津山往来の宿場町にして高瀬舟の中継地として栄えた商業町でしたが、残念ながら今はもう往時の面影すら残されていません。旭川右岸の建部地区は藩政時代に岡山藩家老池田氏の陣屋町として整備発展した場所で、さらにその南に位置する農村集落の市場・中田地区は旭川の河港と街道沿いに発達した定期市で賑わった市場町でした。この集落にはかつて優秀な宮大工が住み、彼らは市場大工と呼ばれたといいます。
旭川は備前と美作の国境線でもあり、河港にして宿場町である福渡には番所が設けられていた事からも政治経済の中心地として栄えます。
しかし、江戸後期になると家老池田氏は次第に岡山城下に定府となり、建部陣屋はその機能を低下させ、さらに明治維新による武家社会の崩壊と、新たに訪れた交通体系の変化によってもたらされた宿場町や高瀬舟の衰退が建部の斜陽に追い打ちをかけ、山間の小さな過疎の町へと姿を変えていったのです。
現在・中田地区の上之町には古い伝統的な商家建築の家並みが残されています。家並みは道路の西側だけに連なっていますが、これは旭川河川改修事業に伴い道路の東側の屋敷は取り壊され、一戸建て住宅や田畑にその姿を変えてしまったからです。この集落を通る道筋がかつての津山往来で、桝形も残されています。明治以降に津山往来は国道53号線として旭川の左岸に新しい街道は付け替えられました。
奇跡とも言える上之町の家並みは、いずれも漆喰に塗り込められた厨子二階、海鼠壁が施され、見事な千本格子に往時の姿をとどめる重厚な家並みです。わずが5件ほどしか連続していませんが、十二分に町並みを堪能でき、これからの時代もなんとかして残していかなくてはならない町並みだとあらためて思いました。