倉敷の西およそ18km、本陣・脇本陣が現存する山陽道の宿場町矢掛があります。
矢掛は「やかけ」ではなく「やかげ」と読み、岡山から3つめの宿場町であるとともに幕府直轄地、つまり天領の町でもありました。
京都の町家は間口が狭く奥行きが長い「鰻の寝床」と呼ばれる造りで有名ですが、これは間口にたいして税がかけられた為にそうなったもので、天領の宿場町も同じ理由で妻入りで奥行きに長い家並みが一般的です。
宿場町の運営費は表通りの商家で負担し、裏屋住まいの家は人足役を務めました。
天領の宿場町である矢掛の町家は先にも書いたように「切妻妻入の鰻の寝床」は同じなのですが、建物はなまこ壁に白壁を塗り込めの土蔵造りで、京の町家のように中庭を設けてその奥に土蔵や奥屋が配置されていて、かなり裕福な佇まいとなっています。
さて、矢掛の街並みの中核で町の南北に建つ、旧本陣石井家と旧脇本陣高草家の建物はともに国の重要文化財。石井家本陣の間口は20間で敷地はおよそ1000坪、脇本陣高草家は間口17間で敷地はおよそ600坪とその規模、造り、歴史的価値は他の街並みを圧巻します。
旧山陽道矢掛宿の街並みは、矢掛町の中心市街であるとともに商店街化しており、以前は本陣・脇本陣以外に目立った建物はありませんでしたが、近年古い建物は修繕され、新しい建物も街並みに合わせた意匠にデザインされているなど、日々宿場町の街並みを取り戻す為の修景が行われています。
街並みの裏通りに建つやかげ郷土美術館には、小田川の水害に悩まされた矢掛宿のシンボル”水見櫓”が再現され、街並みを一望することできます。
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