肱川の支流の一つである小田川の上流をめざして併走する国道379号線と380号線を走る事約30分。内子町の中心部から約18km。旧上浮穴郡(かみうけなぐん)小田町は四国山地の中に奥深く入った周囲を山に囲まれた山村です。この一帯は戦国時代は伊予の勢力が土佐に対する防衛線としての要地で多くの城が築かれており、また土佐〜松山を結ぶ街道が通っていた事もあって古くより町場が発生していました。現在の小田町の中心部付近は江戸時代から街村が形成され在郷町となり小田郷の中心地として栄えた場所でした。
その在郷町小田は小田川を境に東西に分かれており、現在の小田町役場(小田支所)がある中心部の町村は新谷藩領の町で、西側にあるこの寺村は大洲藩領の町で、いずれも山間部における各藩の支配拠点でもありました。
この寺村という地名は奈良期の創建と言われる太田山清盛寺に由来します。この清盛寺は創建当時は清城寺という名でしたが、平清盛の五女登喜姫が当地に逃れ住んだという言い伝えから清盛寺に改めたとされています。
この寺村には「山の神の火祭り」という伝統行事が残されています。旧暦の7月20日に輪番制で行われ、この祭りの幹事を「ヤド」といいます。参道にたいまつを灯し、「山」の字が闇夜に浮かび上がる、秋の豊作を祈願する幻想的なお祭りです。
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