松山市の中心部から南へ約30km。焼き物の町として知られる砥部町からさらに山峡へと分け入った上尾峠の先に旧伊予郡広田村がありました。四国山地の山々に囲まれた高地に位置する小さな山村です。この広田村の中心となる街は村の南端部、上浮穴郡小田町と接する総津地区にあります。地名の由来は”津”という地名から川舟の河港があった、という訳ではなくその昔修験者・落山僧都が護摩修法を行ったことにちなむことから僧都が転じたとか。ちなみにこの広田村から南へ約70km、南宇和郡城辺町に僧都という地名がありますが、こちらは落山僧都とは関係が無いとか...。
ところでこの広田村は中世から小田郷(後の浮穴郡)に属しており、現在の伊予郡となったのは明治29年からの事です。広田村の地名の由来は、平地の少ない山間部にありながら広田という地名には疑問が浮かびますが、実はもとは古代より続く「広奴田(ひろぬた)」が転じたものだそうです。この広奴田の意味は「猪の住みかの沼地」の意味という事で、古代にこの地に入植した土佐人がそう名付けたとか。
そんな旧広田村の中心集落である総津は、旧道沿いに宿場町を思わせる古い町並みが残されていました。町並みの中心となるのは「八重菊」という銘柄を作っている佐々木酒造の商家と白壁の土蔵で、これらは国の有形文化財に指定されています。佐々木酒造の創業は明治5年ですが、江戸時代から庄屋を務めた旧家で醸造の酒蔵は江戸末期のもの、店舗も明治初期のものだそうです。
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