八幡浜市は県の西部、佐田岬半島の付け根に位置する港町で西予最大の都市でした。天然の良港として古くから栄え、現在も四国一の規模を誇る魚市場を有します。人口は3万8000人弱。九州を結ぶ定期航路があり、今も西予の玄関口です。
市街地は八幡浜湾に注ぐ千丈川・五反田川の狭い沖積地に開け、江戸期から河口周辺の埋立によって市街地が拡張されてきました。四国で一番早く電燈が灯り、また県下で最初の銀行が開業した地でもあります。近年商業的には大洲市などに抜かれていますが、金融機関は以前この八幡浜が牽引しています。
古代律令時代よりこの地域は矢野郷と呼ばれ、その中心地として発展していました。八幡浜は宇和島藩の殖産興業政策もあって、幕末には長崎、大阪方面との交易港として栄え県下最大の港町となります。本町・田中町などが当時の中心地でした。
後背地である五反田地区の繊維産業の発達につれ、商業都市として一層発展。大正6年には県下初の繭市場が開設されます。商圏は県下の宿毛、西は九州の大分、宮崎に及び、県下最大の商都として「伊予の大阪」と呼ばれました。
町の発展に合わせ埋立による市街地の拡張が進められていきます。
明治期の埋立は八幡浜商会を中心に大阪商人によって行われ、大黒町・近江屋町などの町名はそれに由来します。町が西へ西へと広がるのに合わせ、中心商店街も本町から新町へと移動していきます。現在アーケードに覆われた新町商店街には、古い商家風の店舗がいくつか残ります。
一方でかつての中心地であった本町や浜之町には伝統的な白壁の商家建築が多く残されていました。切妻平入りの商家の他に、山陽や九州で多く見られる妻入り入母屋の建物が多いのは、同地域方面との交易によってもたらされた影響でしょうか。
八幡浜は陸路の要衝でもありますが、古い道筋のままで都市が発展したため、常に慢性的な渋滞をあちこちで引き起こしています。
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