琴弾山から見下ろす有明浜には観音寺の名所として知られる巨大な砂の寛永通宝
「銭形」があります。
四国霊場八十八カ所第69番札所である七宝山観音寺からその名がついた観音寺町。七宝山観音寺には隣接する第68番札所である神恵院があり、1山2札所を持っているのは四国でここ観音寺だけ。
古くは九十九城をはじめとして観音寺城など多くの城が築かれ、城下町の特有の地名が町の随所に残されています。
江戸期以降は丸亀藩領となり漁業と商業で発展。三架橋ふもとの大和町付近には、豪商屋敷が点在しています。観音寺信用金庫の斜向かいに建つ豪商の建物は、福井県三国町に見られる「かぐら造り」と同じような、正面の店舗部分は平入りで後ろの母家は妻入りの建物が組み合わさった独特の造りをしています。
江戸期の建物はおそらく、この屋敷くらいですが明治大正期以降に建てられたものと思われる古い街並みがいくつか残されていました。
(2006.8/2009.9)
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