高知県の中西部、山に囲まれた小さな町佐川は古くから交通の要衝として賑わい、現在も国道の分岐点となっています。
関ヶ原の戦い後、山内一豊が土佐一国を与えられ入封します。そして佐川は土佐藩筆頭家老の深尾氏1万石の武家町となります。
城下町の構成は、陣屋を意味する「土居」と家臣の集中する家中町、そして町人町が設けられ、これらの街区を合わせて御廓内と称しました。
土佐藩最強である佐川家臣を有した深尾氏は総大将の位置を占め、特別の行政権が与えられていました。周辺地域産業の佐川への一極集中の政策がとられ、さらに特権豪商である御目見町人も制度化し、絹織物や酒造業は領外まで幅広く商圏を広げていきます
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しかし佐川の繁栄も明治になり藩が解体され、社会構造も変化していく事に合わせ、急速に衰退していきました。
かつてこの小さな町には酒蔵が4軒ありました。それらが大正7年に合併して誕生した佐川醸造、後の司牡丹酒造であり、この酒蔵の街並みが佐川町を代表する風景となっています。
(2006.8)
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