鮎喰川右岸の堤防付近にある鮎喰町は、かつて徳島城下の西端の村で、現在の庄町と合わせて佐古郷町と呼ばれていました。
佐古郷町は蜂須賀家入封による徳島藩成立時はまだ無住の荒野であったものの、江戸中期
(17世紀)
ごろから次第に伊予街道に沿って商人が集まり町場が形成されていきます。やがて佐古郷町は町方支配に編入されるまでに発展し、その商業活動が市中の商人を圧迫して係争に至るほどでした。
現在も鮎喰町を東西に通る旧伊予街道沿いに、明治元年創業の吉本醸造を中心とした往時を偲ばせる伝統的な商家が立ち並びます。特に北へ分岐する大麻街道から同じく北に讃岐街道が分岐する蔵本村境三ッ合まで古い民家が点在します。
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