愛媛県、香川県との県境を接する池田町は「四国の十字路」と呼ばれ、四国各地を結ぶ交通の要衝であり、阿波西部における経済、産業、文化の中心でした。
古くから軍事的な要地でもあり、戦国期には大西氏によって大規模な白地城が築かれました。その後四国を支配した長曽我部氏の時代になり本格的な城下町として整備が行われます。やがて秀吉の時代を経て、江戸時代に入ると白地城は一国一城令によって取り壊され、かわりに行政庁舎としての池田陣屋が置かれます。
山々に囲まれ平地の少ない池田では、傾斜地を利用した煙草の生産・加工が主な産業でした。また吉野川の水運を利用した河港としても発展していきますが、煙草の国有化や鉄道の開通によって地場産業としてはいずれも衰退していきます。
国道192号が池田町の中心市街を迂回しているため、町のメインストリート沿いには大正期から昭和初期に建てられた重厚な土蔵造りの家並みが連なり、在郷町の面影が残されています。阿波地域の商業町で競うように施された「うだつ・卯建」はこの池田町でも例外ではなく、各家々の二階屋根にどっしりと構えています。
池田の字名はなぜか”カタカナ”なのですが、旧道と国道に挟まれた町筋である「マチ」地区に卯建のある古い町並みが最も多く残され、現在町並み整備も進められていました。
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