徳島県の南東部に白壁商家が数多く見られる小さな港町があります。町の名はJR牟岐線の名称にもなった海部郡牟岐町です。
かつてはこの牟岐駅が牟岐線の終着駅でした。牟岐の町は海部郡の中心に位置し、現在も町を国道55号線が通るように古くから陸上交通及びリアス式海岸が作り出した港町として陸海交通の要衝でした。もっとも戦国期に小さな山城が築かれた事はあったものの、その後は町の発展に政治・行政的な要素は無かったようです。
牟岐浦は漁村・港町として古い歴史を持つ一方で、中世には牟岐川の木材の積出港としても賑わい、阪神の湊では牟岐浦の木材運搬船の姿があったといいます。
江戸期には徳島藩から加子浦に指定され参勤交代や諸用などの折には公務として米が支給され、藩営の水揚場が置かれた事などからも、牟岐の重要性は大きく変わらなかった様です。
それは明治33年には牟岐浦と阪神方面を結ぶ大坂商船甲浦線が開通し、貨客港として発展するまで続き。その後、昭和17年に国鉄牟岐線が開通して港町の斜陽は始まりますが、それでも牟岐線の終着駅として駅周辺の発展は続きます。
こうして牟岐は商業の町である中村と漁業の町である牟岐浦と2つの性格の町に形成されていきました。
現在も漁村集落である牟岐浦では簡素な平入りの民家が狭い間口で連続する漁村集落の姿であるのに対し、町の中心市街である中村地区には驚くほど立派で、中には寺社建築を思わせるような荘厳な商家の建物が見られ驚かされます。さらに加えて本瓦葺きが町の繁栄の歴史を感じさせます。
|