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宗像市と古賀市に挟まれた福間町という町があります。この町域を通過する九州自動車道に平行して農村地帯を走る県道502号線・町川原赤間線が旧唐津街道をほぼ踏襲しています。その道筋に畦町(あぜまち)という街村があります。畦町は唐津街道の宿場町として発展した集落ですが、まさに農村地帯の町を直接表現したような名称です。
当初この地域は人家の少ない寒村でした。しかし、秀吉の朝鮮出兵の際に唐津街道が整備されると、赤間宿と青柳宿の距離が長いために間宿が設けられる事となります。そうして周辺の村や町から住民を移住させ町場が形成されました。
畦町宿は間宿の為、本陣・脇本陣は置かれず大名や要人の休憩には庄屋や寺社が当てられました。
この畦町も明治の鉄道敷設に反対した為に、その後の発展に取り残され往時を偲ばせる町並みが残されたのです。畦町は間宿でしたが商業の町として賑わい、紺屋や造り酒屋などが軒を連ねたといいます。町並みの中央付近にはおそらく「酒林」を吊り下げたであろう屋根看板を設けた蔵屋敷があります。この建物を含め廃屋寸前の建物が目立ちますが、良く手入れをされた伝統的な建物も多く、こんなところに宿場町の雰囲気を留めた町並みが意外にも残されていたというのが、正直な感想です。
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