九州自動車道・八女ICから東へ約15kmの場所に黒木という町があります。郊外には八女の名産、八女茶の茶畑が広がる八女山地入口の小盆地の町で、中世に黒木氏の城下町として始まり、江戸期に久留米藩の在郷町として発展した町です。
南北朝時代にこの一帯を支配した黒木氏はこの地に猫屋城(黒木城)を築きました。やがて九州全土を舞台にした龍造寺氏、大友氏、島津氏による三つ巴の戦いの中で、黒木氏は滅亡し、豊臣秀吉の時代の九州仕置きの際に黒木城は破却されてしまいます。
やがて江戸時代になると黒木の町は、矢部川を堺に北を久留米藩領、南を柳川藩領に分割支配され、矢部川の水利をめぐって両村は長く対立します。
旧黒木城下は久留米藩領にあり、廃城となった黒木城の石材などは久留米篠山城の修復に利用されました。
久留米藩は旧城下町を市場町として整備し、やがて町は在郷町として発展していきました。黒木の町は八女から小国を経て竹田へ至る街道沿いに、東から上町、中町、下町からなり、八女山地の諸産物が集散しただけでは無く、佐賀と大分を結ぶ街道の要衝として多くの旅人で賑わったであろう事が想像できます。
町場は東西に3つの筋から成っており、そのまん中を走る道路が国道422号線となり、町のメインストリート商店街になっています。古い町並みはこの拡幅された国道沿いと南の細い旧道筋に見ることができました。
町全体の景観としては整備が行われていませんが、個々の建物は修復が進み、いくつかは文化財として公開されているようで、今後の動向が注目されます。
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