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  草野
くさの
 久留米城下から最初の日田往還の宿場町
 福岡県久留米市草野

 構成:商家・町家・洋風建築 ■ 駐車場:なし
 
 
貞享3年(1686)天領となった日田には北九州の天領を支配する代官所が設置され、後に九州全土の天領を総括する西国郡代に昇格すると、九州の主要城下町と日田を結ぶ街道が整備され、これらを総称して「日田往還」と呼びました。
久留米藩と日田を結ぶ街道は、肥後街道(薩摩街道)の府中宿から分かれ、耳納山北嶺の草野・吉井・山北・を経由して日田にいたる「豊後山辺道」が日田往還と呼ばれていました。
府中(久留米)の 追分けから最初の宿場町である草野は、国道210号線が北側を迂回して整備された為に当時の道幅に加え桝形なども残り、街道筋には往時を偲ばせる伝統的な町並みが残されています。
建物は間口が広く、現在までに多くの建物が取り壊されたとはいえ、かなり余裕をもった間隔で立ち並んでいる為、鰻の寝床と呼ばれるように密集した一般的な宿場町に比べると街道集落に近い感じを受けます。もっとも幕府が無くなり天領が解体された明治以降は日田往還の役割も失せ、在郷町として再出発していった経緯があるからかも知れません。その為草野には木造の洋風建築も多く残されていました。


 
矢作付近は建物は少ないものの往時の面影が色濃い