小郡市松崎は薩摩街道の宿場町で、現在も旧本陣や大型の旅籠をはじめ桝形や溝口
(地元ではかめぐち)と呼ばれる石垣など往時を偲ばせる遺構が残されています。
松崎は古くは鶴崎と呼ばれていましたが、寛文8年、出石藩主小出氏から久留米藩主有馬家に養子に入った有馬豊範が鶴崎に1万石を分知されて陣屋を置き、地名を”松崎”と改めここに松崎藩が成立します。しかし松崎藩は親族の家中騒動のまきぞいを受け僅か数年で廃藩となります。
松崎宿は松崎往還(薩摩街道)の重要な宿駅として、旅籠26軒、煮売屋6軒、御茶屋(本陣を兼ねる)も置かれていました。
旧御茶屋本陣の福永家は、宿場町を偲ばせるシンボルとして現在も残されていますが、その向かい側には旅籠建築が断続的ですが連なっています。
中でも巨大な二階建てで、しかも茅葺きの旅籠建築が市の有形文化財に指定されている「油屋」です。江戸時代後期の建築と言われ脇本陣並みの格が与えられていました。旅籠油屋は2棟から成り「主屋」には一般客、「角座敷」には武士などが宿泊しました。参勤交代や武家制度が無くなった明治以降になると「主屋」と「角座敷」はそれぞれ独立して旅籠業を行い、「油屋」と「中油屋」と名乗ります。
また旅籠「油屋」は宮崎駿のアニメ映画「千と千尋の神隠し」に出てくる「油屋」のモデルとなった全国にある4つの「油屋」のひとつでもあります。(らしい)
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