|
小保の商家 |
|
大川とは筑後川の別称であり、また筑後川最大の河港である向島若津港を大川港とも称した事から、合併により新しい町が誕生する際その名が選ばれました。
大川市で伝統的な古い街並みが残る場所が市役所の西側、筑後川に面する向島や花宗川に接する榎津・小保周辺です。
肥前との国境をなす筑後川には数多くの渡船場や河港が設けられていましたが、なかでも江戸中期に新設された向島村の若津港は江戸・大坂送りの藩米をはじめ各種諸産物の倉庫が建ち並び、多くの海船が出入りした筑後最大の河港でした。
河港の役割を終えた現在、倉庫群はありませんが大阪商船をはじめとする海運会社の洋風建築や大型の商家、それに旅籠が今も旅館として残されていました。
また、整然と区画された町割りに若津の歴史を見ることができます。
次に白壁土蔵造りで中には海鼠壁を施した伝統的な商家建築の町並みが残るのが、
この向島から花宗川を挟んだ南側の榎津と小保です。この地域は藩政時代の支配が複雑で、榎津は久留米藩の河港であり小保は柳川藩の河港、そして肥後街道の宿場町として栄えた町でした。当時の両町は「御堺江湖」という掘割で隔てられていましたが、現在堀は埋められ道路となり町内には境界石が遺構として残ります。境界石は28個が並んでいて、石のなかほどに板を通した穴があけてあります。
この榎津と小保の接する狭い範囲に重厚な屋敷や商家が点在しています。
創業300年近い歴史を誇る酢造業の高橋家をはじめ、醤油醸造業の東家、庄屋を務めた旧吉原家などをはじめ一般の商家なども多数見られ、多くの建物に市の説明板が設置されていました。
|
|
榎津にある創業300年の酢造業を営む高橋家 |
|
向島若津の町並み |
|