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  豊後森
ぶんご もり
 村上水軍末裔・森藩久留島家1万2000石の小さな陣屋町
 大分県玖珠郡玖珠町森

 構成:土蔵造り商家・土蔵 ■ 駐車場:なし

 
 

天領の町日田市と湯布院町の間に玖珠町があります。JR久大本線の駅名は豊後森。
かつて久留島氏森藩の陣屋町があった町です。かつての陣屋町の所在地は、豊後森駅から北へ約2km、名勝耶馬渓の入口に森町はあります。

久留島氏と聞いて瀬戸内海水軍を思い浮かべる人は、かなり歴史に明るい方です。
そう、この豊後森藩の久留島氏とは、かつて
瀬戸内海で名を馳せた村上水軍来島氏だたたのです。村上水軍の頭領であった来島康親は関ヶ原の戦いで豊臣方の西軍についたために取りつぶされ流浪の身になります。しかし康親の妻の伯父にあたる福島正則の取りなしで、家康の側近である本田正信の仲介により豊後森に1万4000石を得て、かろうじて家名の存続を赦されます。しかも、大名として。岡に揚げられた水軍の来島氏は、2代藩主通春の時に久留島氏に改称し、以後12代続いて明治を向かえます。
築城を許されなかった来島康親は、入国の際に伊予大三島神社の分霊を勧請して、末広山に三島神社を建てます。三島神社は改築を重ね城郭の様相を呈していきました。

現在の三島公園のあたりに陣屋が置かれ、町の北に上・中級家臣屋敷、東側にそれ以外の武家屋敷が置かれ、南側は町人町として整備されます。
城下町は拡大していきますが、明治に大半が消失。現在商店街を成すメインストリートに火災を逃れた土蔵造りの商家が点在し、若干の面影を残しています。