険しい九州アルプス山中の町竹田。周囲を山々に囲まれた城下町であり、古くから交通の要衝で現在も3つの国道や県道に主要地方道がいくつも合流しています。
竹田出身の作曲家滝廉太郎の代表作「荒城の月」の荒城とは難攻不落で知られた岡城のこと。中世にこの地域を支配した緒方氏によって城が築かれ、志賀氏の時代に城下町が整備されました。
戦国時代、薩摩島津氏の豊後侵攻に対し孤立化したキリシタン大名志賀親次は、わずかな兵で城に立て籠もって死守、岡城を難攻不落の名城として一躍有名にしました。岡城は竹田を流れる玉来川・大野川・稲葉川の合流する断崖絶壁の上に建つ要害堅固の山城で別名「臥牛城」の名をもちます。
志賀が整備した当時の城下町・町人町は挾田・十川と現在の市街地のある東側にありましたが、江戸時代に7万石で入封して成立した岡藩主中川秀成は、現在の竹田支中心市街であるこの場所に新しい城下町を移転建設します。全国に「小京都」と呼ばれる場所は数多くありますが、この城下町はまさしく京都を模して建設され、町は碁盤の目に区画されました
。岡藩中川家は13代続いて明治を向かえます。
豊後の小京都と呼ばれた竹田でしたが、明治の西南戦争で戦場となり竹田の城下町は消失し、「臥牛城」の名をもつ岡城も荒城となってしまいました。
竹田の町は不思議な魅力があります。町の規模としては、とても市制であるとは思えない大きさで、周囲を切り立った断崖のような山に囲まれた中心市街へは、必ずトンネルを通らなくてはアクセスできまません。難攻不落と言われた城下町竹田はまさに自然の芸術品の中に築かれた箱庭のような秘密の小京都です。しかしながら戦災・火災と近代化による長い時代の浸食によって、城下町竹田の古い家並みは僅かに点在してる程度まで激減してしまいました。それでもどこか町全体に、時計の針がある時点で止まってしまったかのような、ノスタルジックな雰囲気を漂わせています。
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