薩摩藩独自の制度で幕府をも恐れさせた「外城(とじょう)」というものがありました。領内の防衛線として武士が半農半士の状態で駐屯する場所をいいます。これは当然幕府の一国一城制で禁じられていたものの、薩摩藩の潜在的脅威の前に黙認されていました。隣国肥後と国境を接し薩摩の玄関口であるここ出水は最重要拠点とし
て、藩の直轄地にして10カ所の「外城」が設けられ、それらを統治する麓(府本)が高台に置かれていました。「外城」が武士の資格をもつ農村集落であるに対し、麓は「府本」には薩摩藩直属の家臣団が居住する武家屋敷地区であり藩庁でもありました。
また麓の周辺は街道筋でもあり商人町や宿場町が発展、米ノ津は海の玄関口としてにぎわいましたが、陸路の「野間関所」と海路を取り締まる「米ノ津津口関所」が置かれ「二重鎖国」といわれるような厳しさがありました。
現在、麓町の武家屋敷地区は重伝建保存地区として、整備保存されていますが、ほとんどの家は住人が生活をしており、母屋は更新され薩摩独特の玉石垣や塀・門だけが残されている状態です。しかし、町並みの景観として新たに建てられている屋敷も多くあり、碁盤の目に区画され武家屋敷地区は広範囲に及び、起伏のある地形もあって見応えがあります。出水市役所と米ノ津川を挟んだ対岸は江戸期から干拓された広大な水田地帯で、その一角には、毎年1万羽近いツルの群れが渡来してくる聖地として有名です。
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