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  宇土
うと
 2つの城跡と豊富な湧き水を持つ・宇土藩3万石の城下町
 熊本県宇土市石小路町付近

 構成:武家屋敷・石橋  駐車場:無

 
宇土には隣り合った2つの城跡があります。南北朝時代に宇土荘の地頭宇土高俊によって築城された西岡台の宇土城。その後名和氏の時代を経てこの地を治めたキリシタン大名の大西行長によってわずか1km先の城山に築かれた宇土城。大西氏の時代も旧宇土城は存続し、2つの城が鶴の形に似ていたことから「鶴の城」と呼ばれていました。その後二つの城は戦乱に消え、宇土の城下町は薩摩街道の宿場町として再出発したのです。
大西氏の時代に宇土川を改修した舟場運河建設が行われました。結局完成はしませんでしたが、現宇土を代表する風景となっています。

江戸時代に入ると熊本藩から細川行孝が3万石で分知され、熊本支藩である宇土藩が成立、陣屋を中心とした街並みが整備され発展。熊本に準じる准町と格付けされるほどになります。行孝は古くから生活用水の不足に悩まされていた宇土城下に、西方約5kmの轟村を水源とする水道を建設しました。これが「轟泉水道」で今も現役で市民の生活を支えています。