九州山地南東の秘境椎葉。「ひえつき節」などをはじめとする多くの木こり唄を生み出した椎葉は古来から木材の山地であり、耳川を下って河口の美々津との交易で生計を立てていました。しかしこの椎葉に日本最初のアーチ式ダムが建設され、村の大半は湖底に沈と共に村の生活も大きく変わってしまいました。
下福良地区の上椎葉が村の中心で、村役場の裏手の商店街はには古い建物は残っておりませんが秘境の街村的な雰囲気があります。その一画に寝殿造り茅葺き民家である国重要文化財の那須家住宅「鶴富屋敷」があります。
鶴富伝説。平家残党の噂が鎌倉幕府に入り、那須与一の弟・大八郎が討伐の為この椎葉に派遣されます。しかし平家の残党はすでに帰農化していました。那須大八郎は滞在中に鶴富姫と恋仲になり身ごもります。しかしすぐに帰還命令が下り、帰国の徒につく際大八郎は鶴富姫に太刀と家系図を与えます。そして後生まれた子供は那須姓を名乗りました。
昭和45年の調査では椎葉の村民1810戸中、椎葉姓388戸についで那須姓が326戸にのぼったとされています。
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