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後藤家分家の商家建築・この建物の向かいが本家邸宅
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高城町は都城市の北にある小さな城下町。東九州自動車道都城ICや日豊本線の山之口駅が町の玄関口。地名のとおり、日和城とも呼ばれる「高城」が高台にそびえ、町を見守っています。高城は南北朝時代に建てられた古い歴史をもつ城ですが、江戸時代の一国一城令によって破却されます。現在の城は天守を模した郷土資料館です。
この南北朝時代に始まる高城は、西都市の北西にある木城町にも同じ高城の地名が見られます。これら2つの高城は、木城町の高城を新納院高城、この高城町の高城を三俣院高城と、それぞれ荘園名を冠して呼び分けられていました。
江戸時代に城は破却されましたが、城下町の機能としては薩摩藩の外城へと引き継がれます。鹿児島北西部に多く見られる「麓」(府本)と同じような位置づけで、こちらは「地頭仮屋」と呼ばれていました。そのうち武家駐屯地区(武家屋敷)が現在の大井手地区になります。
町の中心市街である穂満坊(ほまんぼう)地区は、外城の在郷町として発展した町人町で、江戸時代の最盛期には酒屋や焼酎屋、油屋などを初めとする商家が42軒も立ち並んと言われています。
しかし廃藩置県後この地域は急速に衰退します。町の有力商家後藤家によって養蚕業などが持ち込まれ、地場産業の育成が図られます。現在町のメインストリートの高城郵便局付近には、この後藤家の本家邸宅と分家の商家建築が残されており、分家の商家の方は町の文化交流施設として整備保存されています。この商家と対峙する本家邸宅の北側、裏手に武家屋敷の遺構である門や塀が僅かながら残されています。母家は今風の建物に変わっていますが、武家屋敷の家並みを案内する地図もあり、まだガイドブックには載っていませんが、少しずつ景観づくりと歴史保存への取り組みが行われていました。
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後藤家本家邸の裏手土蔵街 |
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武家屋敷の遺構が整備・保存されています |
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