木曽平沢の町は奈良井と贄川の中間にある集落で街道風情溢れる家並みが続きますが、中山道・木曽路の宿場町ではありません。江戸時代は中山道木曽路有数の難所である鳥井峠を控えた奈良井宿の一部・枝村でした。
木曽路は農業に適さない山間高冷地である為、主要な宿場町にはその維持経営の為に白木が特別に割り当てられ、その加工産業が行われていました。平沢は江戸時代当時から木曽漆器生産の専業の町として位置づけられ、宿場町奈良井を支えていたのです。もっともこの平沢にも旅籠屋が33軒あったそうですから、中山道の旅客数の多さ、そして本宿である奈良井宿の賑わいぶりが想像できます。
明治44年、南信地方との誘致合戦の末に木曽路に中央本線が開通。当時は贄川駅と奈良井駅が開業していて、ここから木曽漆器の販路が各地へと広がりました。そうして平沢の町は漆器製造販売の町へと特化していったのです。ちなみに平沢駅が開業したのは昭和5年になってからのことです。
平沢の町並みは、木曽路有数の観光産業の町として古い建造物に合わせた町並みがいち早く整備されており、修景作業は今なお続いて街道情緒の町並み度を高めています。
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