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  三留野
みどの
 木曽路の玄関口・中山道木曽路四十一の次の宿場町
 長野県木曽郡南木曽町読書三留野
構成:切妻平入民家(旅籠建築・商家) 駐車場:南木曽町役場
 
 

木曽路最南端に位置する、その名も南木曽町。この町には全国の古い町並みと重文建の先駆けともなった妻籠宿ともうひとつ、同じく中山道の宿場町であった三留野宿があります。
その三留野宿は南木曽町の中心部付近にあります。JR南木曽駅は特急列車も停まる、木曽路の玄関口であり、駅前もごく普通の地方都市の商店街として賑わっています。

中山道の宿場町である三留野宿はこの商店街の北端にある南木曽町役場のさらに陸橋を越えた先に、ひっそりと残されています。国道19号線もはるか遠くの眼下に走り、集落には道路脇の水路を流れる小川の音だけが心地よく漂っています。
明治44年に中央本線が開通して三留野駅が開設、これにより木曾は飛躍的に発展し、三留野駅は飯田・伊那への物資の集散地としても栄え、駅周辺は大きく発展したのですが、実はこの三留野駅は三留野宿からだいぶ離れていたので宿場町は急速に寂れてしまったのです。ちなみに三留野駅は現在の南木曽駅です。

三留野の地名は、中世木曽氏の居館「御殿」(みどの)がにちなむといいます。
宿長は2町15間、宿内家数77戸・人口594人、本陣1軒・脇本陣1軒・問屋2軒・旅籠32軒(大7・中19・小6)で、宿場の規模はそこそこ大きかったようです。
江戸時代後期には10年置きに3回も大火に見舞われ、幕末の皇女和宮降嫁の際には急ピッチで宿場が増設されました。またこの時代には、木曽でも有名な遠山家の造り酒屋があったそうですが、現在南木曽町に酒蔵はありません。その後明治14年の大火で壊滅します。

さて三留野地区がある大字の「読書」というユニークな地名、なにに由来するかと調べてみると、明治7年に与川・三留野・柿其の3村が合併した際にそれぞれの頭文字を取って生まれたそうです。純粋に「与三柿」としなかったところは誰のセンスだったのでしょうか?

 
 
 
 
役場の南側、南木曽駅への通りに残る民家と料理屋