一路一会古い町並みと集落・甲信越>長野>伊那大島

 

伊那大島
いな おおしま

 中世の城下町から移された三州街道の宿場町
 長野県下伊那郡松川町大島
伊那本務造り民家・土蔵  なし  JR飯田線・伊那大島駅から3km
 
 

中央自動車道松川ICの交差点に三州街道(伊那街道)の大島宿(松川宿とも)があります。
このトップクラスのアクセスの良さを誇る宿場町を抱える松川町は、木曽山地から伊那山地にかけて大きな翼を広げたように伊那盆地を横断する人口13,000人の町です。天竜川を境に伊那山地側を竜東地域、木曽山地側を竜西地域と言います。

竜西地域は木曽山地から天竜川にかけて形成された山麓扇状地で町の中心は天竜川河岸段丘上の元大島にあります。
平安期にこの地域で勢力を伸ばした信濃源氏こと片桐氏の分家である大島氏がこの地を拠点とした事から大島の名が付けられたと言われ、松川町の中心市街である元大島が大島氏の城下町でした。

大島氏は戦国期に衰退し、文禄2年に、飯田城主京極高知によって片桐宿と大島宿が共に成立します。この際、旧城下町であった大島町を伊那街道沿いの名子村に移転し、大島宿と改め、伝馬宿とした事から元の大島町は元大島と呼ばれる事になります。

江戸時代には三州街道・伊那16宿のうち、市田宿片桐宿・飯島宿と並んで、唯一「宿」として認められた4宿の一つで、飯田藩より五街道さながらの保護を受けて発展します。さらに江戸中期からは中馬輸送が盛んになり、三河・東海道との往来が盛んになった事から伊那街道は三州街道とも呼ばれるようになりました。

現在大島に残る家々は、本棟造りに独特の庇を設けた様式で、海鼠壁の土蔵や塀など三州街道・飯田寄りの地域に見られる風景です。中には本棟造りの様式で新築した家も多く見ら
れ、街道風景を意識している様子が伺えました。