立山黒部アルペンルートの長野県側玄関口として知られる大町市は人口3万人の町で、安曇エリア「大北地方」の中心都市。
大町は古くからの商業都市で、江戸時代には仁科大町とも呼ばれていましたが、実際に大町という町は無く、本町と仲町の総称でした。
古来より「塩の道」として知られる千国街道は10世紀間以上の歴史をもつ街道で、内陸部の信濃や甲斐へ塩や海産物を運んだ生命線でした。この街道沿いに町が起こったのは平安時代ごろと言われています。この時代に豪族仁科氏が伊勢神宮領の荘園「仁科御厨」と皇室領の荘園「仁科庄」を治めていました。
鎌倉時代になると、仁科氏は城館「天正寺館」を中心に「京」に倣った都市建設を進め、原型となった市場町が形成され、そこから南北に町は拡大していきました。街道に沿って町場が発展し、北から九日町、上仲町、下仲町、八日町、五日町など旧市日にちなんだ町名が多い。本町と八日町に残る桝形に中世宿場と城下町の原型を見る事ができます。
江戸時代になると大町は松本藩領となります。糸魚川から大町を経由して松本まで30.4里
(119km)大町はちょうど中間に位置していました。千国街道は越後と信濃の国境にあった千国宿に口留番所(関所)が置かれた事にその名が由来しますが、大町周辺では一般的に大町街道・松本街道と呼ばれており、物流ターミナルのような役割を果たしていました。
そのような大町は、安曇郡でずば抜けて大きな町ですが、それゆえに古い伝統的な町並みは殆ど残されていませんでした。しかし、広範囲に見渡せば、酒蔵や質屋、飲食店など、町家や商家形式の建物を発見する事ができます。八日町には江戸時代の庄屋で塩問屋を営んだ豪商・平林家の商家と土蔵群を修復再生した「
塩の道博物館」があります。また九日町には3軒の酒蔵が集まり、それぞれ伝統的な主屋と土蔵を構えています。また一部商家は千国街道に沿った商店街に散見され、アーケードに閉じこめられてしまったものもありました。
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